Interview | Vol.1 | 2022.06.01 update

神宮司庁 広報室広報課 神宮宮掌 潮貴文さん
神宮司庁 営林部 庶務課係長 神宮技師 山本祥也さん

 

「混交林を目指しているのは出来る限り自然に近い豊かな森を育成するためであり、
それが伊勢神宮の森林経営計画です。」

 

−今回のテーマは、循環なのですが、日本にとっては、本来当たり前のように大切なことであり受け継がれてきた大事な知恵が、この神宮に詰まっていると思います。また、二十年に一度行われる式年遷宮というお祭りを通して沢山の木が使われると同時に、森林・林業の循環というものを「神宮森林経営計画」を通して考えられていると伺いました。今日は、営みの背景にある神宮の「知」について、是非お話いただけますでしょうか。

潮:神宮が行っていることは、現代においては特別と見なされることが多いのですが、元々わが国にとってお祭りは日常にあり、日本人の生活そのものでした。稲作を中心としたお祭りが今も変わらず行われている所が伊勢の神宮です。神話には天孫降臨の際、皇室の御祖神である天照大御神が御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に我々の主食として稲穂が託されたと伝えられています。神宮のお祭りは「天皇祭祀」といいますが、御鎮座以来お祭りの主体となられるのは天皇陛下であり、「国の平安を願う天皇陛下の祈りが捧げられる場所」それが神宮の本質といえるのです。
 伊勢神宮の歴史は約二〇〇〇年前にさかのぼります。天照大御神(あまてらすおおみかみ)は代々天皇が宮中でお祀りされていましたが、第十代崇神天皇の御代、近くでお祀りするのは恐れ多いとされ、皇居を出られ大和の笠縫邑(さかぬいのむら)にお祀りされました。その後第十一代垂仁天皇の御代にはさらに良いご鎮座地を求めて倭姫命(やまとひめのみこと)が各地を巡られ、伊勢の国にたどり着かれた時『この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむとおもふ』とのご神託があり、この地に大御神をお祀りしたと伝えられています。現在の皇大神宮(内宮)です(紀元前四年)。皇大神宮のご鎮座よりおよそ五百年後、第二十一代雄略天皇の御代に天照大御神のお告げにより大御神のお食事を司る神様として豊受大御神(とようけのおおみかみ)を丹波国よりお迎えしお祀り申し上げました。こちらが現在の豊受大神宮(外宮)です(四七八年)。
 伊勢神宮の中で、年間最も大切なお祭りが十月の神嘗祭です。その年に収穫されたお米をまず大御神様にお供えし、感謝の祈りを捧げるお祭りです。伊勢の神宮ではこの神嘗祭を中心に年間のお祭りが行われています。二月にはその年の豊作をお祈りする祈年祭から始まります。春にはお米の種をまくお祭りや田植えのお祭りもあります。この様な様々なお祭りを経て、十月の神嘗祭で初穂をお供えする。それが一つのサイクルとして成り立っているのが、伊勢神宮の営みといえるのです。
 先ほど申し上げましたが、神祭りはかつてどこでもなされていたことです。システムというよりも人の〝営み〟として神に祈りが捧げられているところが伊勢神宮であり、其の根底には神の恵みにより自然から戴いたものを感謝を込めて捧げることが土台にあります。現代の社会はともすれば食べ物をどこから戴いているのか分からなくなってしまう状況ですが、感謝の心が失われてしまうと、お祭りの意義そのものがなくなってしまうでしょう。
 伊勢の神宮では二十年に一度、社殿を新たに造り替え、大御神にお遷り頂く神宮式年遷宮が約一三〇〇年前より行われています。制定について正史には記されていませんが、古記録の『大神宮諸雑事記』には持統天皇の御代、六九〇年に第一回目の神宮式年遷宮が行われた事が記されています。また『延喜式』には二十年に一度社殿を作り改めることが記されており、第一回以来、二十年に一度式年遷宮が行われてきました。式年遷宮では社殿を新しくすることにあわせて神様へ捧げる宝物類「御装束神宝」(おんしょうぞくしんぽう)も新しく造り替えて捧げます。そこには我々にとって最大の感謝を込めて大御神をお祀りすることにより、この国が永久に発展し永続する事への祈りが込められているのです。式年遷宮は「皇家第一の重事」と称されます。皇室の大切なお祭りであるということであり、式年遷宮には国の平安を願う天皇陛下の祈りが込められているのです。
 終戦後、昭和二十一年に神宮は一宗教法人となりましたが、戦前まで式年遷宮は国家のお祭りとして行われてきたという歴史があります。今でも、式年遷宮の準備は天皇陛下の御聴許 (お認め)により始まり、重要なお祭りの日程は御治定(お定め)により一つ一つ進められます。
 式年遷宮は、前回は平成十六年から準備が始まり、様々な遷宮諸祭を経て平成二十五年に「遷御」という神様を新宮にお遷しするためのクライマックスとなる祭儀が行われました。式年遷宮のお祭りの中で最初に行われるお祭りは遷宮で新しい社殿を造営するための御用材を伐採するにあたり山の口に坐す神様にお許しを頂くお祭り「山口祭」です。式年遷宮ではその後も諸祭で神様のお認めを頂きながら準備を進めていくのです。

 

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−時代と共に、このような決まりが出来ていったんでしょうか?

潮:様々な変遷はありますが、遷宮が始まったときから、今のような形がおよそ出来上がっていたと言えます。遷宮に使用する御用材を調達するための山を御杣山(みそまやま)と言います。鎌倉時代までは神宮の森から調達していましたが、かなりの大径木を必要とすることから、次第に入手困難となりまして、一〇一九年の第十八回皇大神宮式年遷宮の際に志摩国から求めることになりました。神宮の山から移した最初と言われております。その後、御杣山は各所に求められましたが、最終的に江戸時代には木曽に移り現在も木曽の国有林から調達しています。大正十二年には神宮の森厳(しんげん)を保ち、神宮の森で御用材を自給する事を目指し有識者を招いて森林経営計画が策定されました。現在も経営計画を元に森づくりを進めています。
 森づくりについては営林部技師の山本からお話をしたいと思います。神宮司庁は、神宮の事務を取り扱う事務所ですが、その中に、いろいろな部署があり、その一つに森の管理にあたる営林部があります。今後の計画等の実務担当者が山本です。

山本: 神宮の森林のことを神宮宮域林と呼んでいます。宮域林の特徴は檜の人工林は他の樹種広葉樹との混交林を目指しています。パンフレットの写真からも混交林になっている様子が見てとれると思います。宮域林ではもともと式年遷宮の御用材を伐り出していました。当時は檜を伐った後植えるようなことはしていなかったので、式年遷宮を繰り返す度に徐々に減少していき、最後には檜の大径木が枯渇してしまいました。現在も天然林檜の大径木が残っている木曽檜は稀なケースで貴重な森林資源だと思います。

−奈良の吉野なども、木曽のように三百年先を見据えて植えるという話は聞いたことがありますが、この木の循環は、人の知恵なんでしょうね。

山本:御用材の直径は、一メートルあれば理想的です。しかし、このような太さの大径木を必要とする割合は多くありません。檜の直径が六十センチあれば式年遷宮の九十数パーセントをまかなうことができるので、檜の生産目標を六十センチ以上としています。
 直径が六十センチに達するまでの育成期間は二百年を想定していて、この間、間伐などの作業を実施する計画としています。国有林から調達している天然林の木曽檜は、林齢三百~四百年経っています。
 宮域林では、間伐で檜の本数を管理することによって約二百年で木曽檜と同じような太さの檜を育てる計画になっています。

−今、柱に使う大木は、木曽が中心になっているんでしょうか?

山本:そうですね。大正時代に宮域林の管理が始まり、前回の式年遷宮では鎌倉中期以来初めて宮域林から御用材を調達しました。調達数量は約二十三パーセントでした。

−次の遷宮はいつぐらいになる予定でしょうか?

潮:予定では令和十五年ですが正式には天皇陛下のお認めにより決定します。

山本:次期式年遷宮の調達数量は、二十三パーセントからもう少し上回るのではないかと考えています。計画が策定された経緯には、大正時代に大雨による山の崩壊や五十鈴川の水害、さらに森林の景観・風致もあまりよくなく問題があったようです。この理由には、地元の方は参拝者のおもてなしの為に薪や炭が必要で、宮域林も含め近隣の森林から木材を採っていたことがあります。

−だいぶ、木が少なくなっていたということですね。今の森からは、ちょっと想像ができないですね。

潮:生活のために、使われていたようですね。
山本:伊勢だけでなく、日本の他の地域も森林が同じように伐採されて森林が成熟していなかったと考えられます。

−住民の方々の理解を得るのは、なかなか難しかったのでしょうね。

潮:神宮の山ではありましたが、その様なことが行われていたというのは、現在の様に厳密に規制をかけることが出来なかったのではないかと思います。

山本:神宮の森林で自然災害を招いていては問題があるということから、森林を育てるため計画が必要となりました。式年遷宮の御用材を育てる事はもとより、五十鈴川の水源涵養や景観をより良くするために計画が策定されました。そして、現在もこの計画に基づいて宮域林を管理しています。

−緑が青々としていると人間は危機感が沸かないのでしょうね。仰るように景観が損なわれていたら、なんとかしなきゃ、となりますよね。

潮:記録では、江戸時代にも何回か氾濫があり、下流に被害が及んだ様です。

−五十鈴川は、穏やかな川に見えますが、氾濫が多かったんですか?

潮:保水力を持った豊かな森が無いと雨水がそのまま急流になってしまいます。

−バランスが崩れてしまった、ということでしょうか?

山本:水源涵養機能など森林の持つ役割を果たせる森林ではなかったと思います。

−すごく完璧に、一三〇〇年間やっていたというよりも、なんとかしなくては、というところから始まったことなんですね。

山本:神宮の歴史はとても長いですが、宮域林の管理は大正時代に始まりました。

−生活もかかっていますし、みなさんの意識改革というか、地元の理解を得ていくのは、なかなか難しかったのでしょうね。

山本:参道などから見える箇所は伐採を控えてもらったり、伐採する面積を調整したりして色々手を尽くしていたようですが、思うようにはいかなかったようです。

潮:日本全国で問題になっていますが、檜や杉だけを植えてしまい森の機能を果たさない所がたくさんあります。混交林を目指しているのは出来る限り自然に近い豊かな森を育成するためであり、それが伊勢神宮の森林経営計画です。将来の遷宮を見据えて今後も育ててゆくわけですけども、「伊勢神宮の森をつくる」計画でもあるということですね。


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−森づくり、山づくりが、いろいろな意味で基本にあるのですね?

潮:そうですね。大御神様にお供えをするお米など、お供えするものは、基本的に神宮では自給自足で賄っております。五十鈴川がこの神域に流れていますが、神田の水は五十鈴川から引きます。またさらに下流に行くと、塩を作っている施設もあります。こちらでも豊かな水がないと出来ないことですので、森づくりというのは伊勢神宮の営みを支えていることであり、神宮のお祭りのためであるということですね。
 森から海に流れていったミネラルの豊富な水は豊かな海産物を育みます。最初に倭姫命が天照大御神をお祀りするのに相応しい土地を求めて伊勢に辿り着かれたと申し上げました。志摩の国を訪れ、御贄所(みにえどころ)を色々探されましたが、鮑をはじめ海産物が非常に豊かであったと伝えられています。伊勢の国をご鎮座地として定められた一つの理由として御贄所として相応しかったことが挙げられます。この自然環境を守るためにも我々として出来る限りのことをしていきたいと考えています。
 自然の循環のなかで、神宮のお祭りも循環しているということですね。自然の循環、自然の営みがないとお祭りも成り立ちません。昔の日本にはそうした営みが自然とあったということだと思います。

−日本には、本当は循環があったということ。伊勢神宮の参拝に訪れると、多くの気づきを得ることが出来ますね。

潮:収穫祭を一年の基準として生活する事はかつて当たり前の事でした。神宮に来られてお話をした時に、ああそうだったと、それを機に神宮を取材するような方もいらっしゃいます。我々として知って頂きたいのは、循環型社会・経済という定義が出来る以前からすでに営みとしてあったということですね。
 現代においては食べ物を自然からいただいているという意識が非常に薄れていると感じる事があります。自分たちの食べている物が、どこからどうなっているのか実感としてない。その実感に立ち返るということが、循環型社会への一歩なのかもしれないですよね。
 外宮は天照大御神が御鎮座されてからおよそ五百年後、天照大御神よりひとりで食事を食べるのは心許ないと、食事をお世話する神様をこちらにお祀りして欲しいというお告げがあり、丹波国から豊受大御神をお招きして、御饌神(みけつかみ)=食事のお世話をされる神様としてお祀りしました。
 このひとつの歴史のなかにも、食というものについての示唆がやはり含まれているわけですね。神話や歴史を紐解くなかで、そこに何かメッセージが含まれるのではないかと意識することも神職の役割ではなかろうかと思います。神話のなかにも、食の重要性が描かれています。
 また、衣・食・住と言いますが、豊受大御神は衣・食・住の守神であり、人間にとって、まず基本的なことを象徴する大切な神様なのです。住は神宮においては社殿、式年遷宮に関わってくるところでもありますね。

−やはり凄いですね。ここに、全部知恵が詰まってますね。営みでもあるし、日本人の培ってきた「知恵」というものがあるのか、と。

潮:意味合いというのは、その都度考えていかなくてはならないと思います。ここに何が含まれているのか、我々も勉強していかなくてはならないことです。そこにひとつのメッセージが含まれているのではないかと意識することですね。

−どれだけ気づけるのか、ということがあると思いますが。

山本:宮域林の面積は、五千五百十二ヘクタールです。内宮の南側に位置していて、五十鈴川の源流が流れています。当時の森林経営計画では、神域、第一宮域林、第二宮域林と宮域林を区分しています。神域は内宮、外宮などの参道周辺森林です。森厳を保つことを目的とし、基本的には木を伐ることなく自然を守っています。

−ここでどうなったのか。三百年後どうなったのか。おそらく、ひとつの実験でもあるのかもしれませんね。植林をしたらどうなるか、そのままにしたらどうなるか。とても計画的によく考えられているんですね。

山本:第一宮域林は参道や伊勢市街から見える箇所としていて、全体面積の約二十パーセントあり主に広葉樹林です。水源涵養や景観をより良くし守っていくことを目的とし、神域と同様に木を伐ることなく管理しています。第二宮域林は、これ以外の箇所になります。水源涵養や景観をより良くし守っていくことに加えて御用材を育成することも目的とし、檜を植えて育てています。また、檜の人工林では、檜と広葉樹の混交林を目指しています。大正時代檜は殆どなかった訳ですが、計画的に植えた檜の面積は約二千五百ヘクタールとなり、現在は宮域林の約半分が檜となりました。

−日本全国で今問題になっていることなので、すごく他の地域の参考になりますよね?

山本:そうですね。視察や調査にも、いらっしゃる方もいますね。

−反省しないと、人間は、やらないですよね。資源がこのままいくと、この地球上から枯渇してしまうという問題や、温暖化により一度でも上昇すると、世界中の方が何処かで亡くなり続けているという事実もあり。どこまで資源を使い続けるのか、今どうするのか、ということを考えていくことを、社会全体が求められていると思います。
 神宮の方々が大正十二年に遭遇されたことが、まさに、今、地球全体の状況と非常に近い部分もあるのではないか、と。そして、そのような危機感を抱いたときに森林経営計画を考えられ、結果、今のような多様性に満ちた美しい森に再生されたということは、とても広い意味で見ると「この森の光景そのものが人類にとっての希望なのではないか」と感じられました。

潮:お電話を頂いた際、式年遷宮の後、解体された旧殿の古材がまた再利用されるというお話をされていたと思いますが、二十年使用しても表面を削れば非常に綺麗です。特に災害を受けた神社等にお譲りし有効に再利用しています。木の役割が、ここで終わるわけではありません。
 正宮の一番の太い棟持柱(むなもちばしら)は遷宮が終わった後には、宇治橋に立っている大きな鳥居として再利用されます。更に二十年後には旧東海道の関の追分(鈴鹿市)と桑名の七里の渡し場(桑名)で使用され、計六十年間は最低使われることになっています。
 式年遷宮のお祭りでは木を伐採する際にも木の神様に祈りを捧げますが、やはり頂いているものですので単なる〝資源〟というよりも、〝御用材〟という言葉を使います。単なる資材ではありません。


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−人間から見ると「資源」という言い方をしてしまいますよね。

潮:そうですね。あくまでも命あるものから頂き形が変わって社殿になったと。その感覚を多くの人に理解いただきたいと思います。ひとつのものを大事に扱う、その根底には自然から頂いたもの、全てのものに神が宿るという神道的な考え方があります。かつてアミニズムという言葉に何か原始的なイメージをもたれた時代もありましたが、現在、神道の考え方は世界的にも非常に注目を集めていまして、日本人の根幹にこういった神道的な考えがある事について世界的に理解が広まっています。環境問題が注目されてきたときに、神道の役割というのはどうなのかという事は我々の一つのテーマでもありますので、多くの方々に神宮の営みをご理解していただきたいと思います。
 これは宗教的な事であり、海外の方に伝えるのは難しい問題ですが「魂が宿るという感覚」は、日本の方に話した時には、やはりどこかに持っているからか、理解いただけるかと思います。循環型社会の本質を理解するためにも大切な感覚だと思います。

−根本的なところですね、本当に。
 では、森林の計画について、もう少し詳しく教えていただけますでしょうか。

山本:前回の式年遷宮では、宮域林からの調達数量は約二十三パーセントでした。二百年間育てないと御用材に使用できない訳ではありません。御用材は丸太の直径で三十センチ前後も必要ですので、この太さの丸太を計画当初に植栽した林齢九十年生前後の檜の間伐材を御用材として調達しました。

−一回の遷宮で約一万三千本も必要になるんですね? 

山本:一回の式年遷宮では多くの御用材を必要とします。檜の育成方法の特徴の一つに、将来御用材として期待できる成長の良い檜を選木して、白色ペンキでマーキングしています。幹の通直性や枝ばりの大きさ、枝打ちがしっかりしてあるどうかなどを判断基準として選木しています。森林の木材生産には木を植えて、木を伐るという循環があります。また、森林では枝葉が落ちて土に還る循環があります。檜と広葉樹の混交林は、生物の多様性が増大し宮域林が目指す水源涵養や景観には優位な森林であることは間違いないと思います。また、上層木の檜だけでなく、中間層や下層にも広葉樹などが侵入しています。この広葉樹は植えたものではなく、種から発芽して自然に育ったものです。単純林を比較して混交林は、森林の空間に対して、樹木などの占める割合が高くなります。そのため土に還る枝葉の量が多くなり、土の持っている力が痩せていくことを防ぐことにつながります。植えて伐るという二百年の周期を循環していく上では、優位であると思っています。

−土壌専門の有識者の方より、まさに今山本さんが仰ったことを伺ったことがあります。一種類のものだけを植えて、育て続けるほどに、土は死んでいくと。最近では、有機ではない肥料が、ほとんどなので、農業によって二酸化炭素の排出量が増えていっている。世界中で問題になっていて、日本も同じ状況にあると。有機で育てている農家さんもいますが、比率としては、まだ少ない。昆虫も含めて生態系が全部変わってしまう、昆虫がいなくなってしまうという説もあります。多様にしておかないと、本来の自然からみたら、とても異様ですよね。二百年後、こちらの神宮の森の土が、どうなっているのか。この神宮の森の計画は、そういう意味でも、非常に大事なことだと改めて感じました。ありがとうございます。
 このプロジェクトは、成功するまでやろうと、中心メンバーが決意したようですので、またテーマや切り口を色々と変えて、お話をお伺いする機会を設けさせていただいてもいいでしょうか。

潮:神宮の自給自足に注目し取材をされる方もいらっしゃいます。公共機関を通してその様なご依頼をされる方も多くなってきたように思いますし、神宮の営みが取り上げられることも多くなってきました。

−ここに全部ある、ここに知恵があると、思いました。ありがとうございました。


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Text: Madoka Nomoto(518Lab)
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