essay | Vol.3 | 2023.03 update

Text: Atsuko Ogawa(Loftwork Inc.)

 愛知県知多半島の中ほど、伊勢湾に面したところに、小鈴谷村(こすがやむら)という小さな集落があった。荒れた土地に木が生い茂り、農地には適さない。村の庄屋|盛田家は、この地で江戸期より酒造業を営んでいた。十一代目当主・盛田久左衛門(もりたきゅうざえもん)は、江戸末期、伊勢松坂の錦米を用い火入れの温度も研究し品質を安定させるなど、当時の醸造法を改良、知多酒発達の先駆者となった。味噌・たまり・醤油の醸造法を研究し多角的に事業を拡大していく。中埜又左衛門(ミツカン)と共に中泉酒問屋を開店し、千石積み帆前船数隻を購入。江戸・難波に航路を開き、酒・味噌・醤油・酢などを運び、交易によって益を得る。事業から得た益や私財によって、明治五年小鈴谷から武豊まで幅百八十センチの大道を完成させるなど、運輸交通のためのインフラ工事にかかる、そのすべての資金を自身で賄った。海岸の土木工事に至っては、基礎工事を十分にしたため、その基盤は現代においても非常に盤石である。  十二代目に代を譲り、隠居して名を命祺(めいき)と改めた。そこで盛田命祺が生涯をかけて尽力を注いだのが、「教育」である。明治維新と共に武士は刀を奪われ、権力だけで生きていく時代は終わりを告げた。大きな時代の変化の流れを乗り越えるためにも、次世代を生きる子供たちに将来への道をつけることが求められた。盛田命祺と住民の寄付金によって、小鈴谷郷学校が生まれ、明治六年には政府の学制によって小学鈴渓(れいけい)学校となり、伊勢神宮嗣官・御師(おんし)の子息溝口幹(みぞぐちみき)を教員として迎えた。盛田命祺は、溝口幹を名古屋の養成学校や大阪・東京の師範学校に通わせ、溝口は三十五歳という若さで、小鈴谷小学校の校長に就任する。明治十九年(一八八六)小学校令が発布されたが高等小学校(現小五〜中二)は一郡一校の定めで知多郡では半田に置かれた。しかし小鈴谷から子供の足で通える距離ではなかった。そこで向学心に燃える者に、更に上の教育を授けたいという溝口の希望を聞き、明治二十一年( 一八八八)盛田命祺は私塾「鈴渓義塾(れいけいぎじゅく)」を創設。文明開化を迎えたばかりの日本の田舎の小鈴谷村で、現代の高校に匹敵する学業レベルー国語、理科、漢文、数学は代数・幾何に及び、英語は英文法とナショナルリーダー、法制・経済という科目に至る。

明治二十一年(一八八八)から明治四十年(一九〇七)までの十九年間、この間三百五十名を超す卒業生を輩出し、トヨタ自動車㈱の「大番頭」と呼ばれた石田退三(いしだたいぞう)、敷島製パン㈱の創立者盛田善平(もりたぜんぺい)、言語学者で言葉と心の繋がりを深く説いた石黒魯平(いしぐろろへい)、文部事務次官で国民精神文化研究所の所長をつとめた伊東延吉(いとうえんきち)など、数多くの偉人が育った場所でもある。 〝そんなりっぱな学校の校長といっても、幹は、いつもよれよれの洋服に下駄履き、気どるところは少しもなかった。金持ちの子も、貧乏な家の子も分け隔てをせず、厳しい中にも愛情のこもった教育をした。めったに怒ることはなく、やさしさと親しみのある先生でもあった。幹は、一人の優等生を作るよりも、心のわかちあえる子どもたちを育てることを信条とし、しつけも温か味をもって教育をおし進めた。〟(鈴渓読本改訂版・鈴渓読本編集委員会発行より抜粋)  人間の心と切り離すことのできない知恵を伝え、人徳としての教育を何よりも大切にした溝口が、その教育方針の指針にしたのが、知多の先達、平島村(現東海市)の細井平洲|江戸期の儒学者の『嚶鳴館遺草』(おうめいかんいそう)である。治世経済、教育教化、人倫道徳、処世教訓等、世情一般の諸問題について、具体的にかつ平易に説き、経済(経世済民:けいせいさいみん=世を治め民の苦しみを救うこと)の道理を、きわめて細かく論じた『嚶鳴館遺草』は、西郷隆盛、吉田松陰によって賞賛され、伊藤博文は治国の指針としたと言われている。 〝教育の最後の目的は、子どもの性格にあった学問を身につけさせて、将来世の中で何ができるかを教えることだと思います。〟 (鈴渓読本改訂版・鈴渓読本編集委員会発行より抜粋)

世の中に出て自分が何をするのか「志」を持たせること。どう生きていくのか「志」を持って学び、情熱を持って「志」を達成させる。溝口の撒いた〝知〟という「志」が知多の源流として、今も流れている。


参考文献
鈴渓読本改訂版 鈴渓読本編集委員会(常滑市立小鈴谷小学校)編  二〇一一年発行
情熱の気風ー鈴渓義塾と知多偉人伝 二宮隆雄著 フィールドアーカイブ株式会社 二〇一九年発行

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Design & Photograph: Takahisa Suzuki(16 Design Institute)
Copywrite & Text: Atsuko Ogawa(Loftwork Inc.)
Text: Madoka Nomoto(518Lab)
Photograph: Yoshiyuki Mori(Nanakumo Inc.)

Director: Makoto Ishii(Loftwork Inc.)
Director: Wataru Murakami(Loftwork Inc.)

Producer: Yumi Sueishi(FabCafe Nagoya Inc.)
Producer: Kazuto Kojima(Loftwork Inc.)
Producer: Tomohiro Yabashi(Loftwork Inc.)
Production: Loftwork Inc.
Agency: OKB Research Institute

 

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