Interview | Vol.7 | 2023.03 update
株式会社小島組 代表取締役社長
小島智徳さん
「百年前・百年後、これまでとこれからという二百年のスパンを考えたときに、百年経っても変わらないものは、なんだったんだろうと。 これからの時代は、何が長く持続するだろうかということを捉え、掴んでいくということ。それが、インフラ=土木という仕事になってくると考えています。」
−今日は、㈱小島組の企業としての成り立ちなど、経営の背景にあるスピリットについて、㈱ロフトワークのCOO矢橋と共に、お話を伺っていきたいと思います。
経済という側面から、東海・愛知とその成り立ちについて調べるほどに、知多半島は非常にキーポイントになると言いますか、「核」にあたるのではないかという想いに駆られるようになりました。㈱小島組は、知多半島が発祥とお聞きしました。
小島:創業の地は、愛知県知多郡上野村(現東海市名和町)、知多半島の付け根のところです。昔は、家の前が浅瀬で、小さい船がつけられるようになっていて、小さな家が立ち並び、北側には新田があったと聞いています。こうした風景は、明治時代に開通した名鉄電車の存在も大きいですが、時代と共に大きく変遷していき、愛知製鋼の埋立地になったり、他にも日鉄、出光といった工業地帯に変わっていきました。
インフラに関して言うと、知多の問題は、水ですね。大きな河川がなく、溜池が多くて。水不足という慢性的な問題があった。それを解決したのが、木曽川から取水口を通じて水を引いた「愛知用水」。(一九五七年からわずか四年で完成。アメリカ・エリック・フロア社から技術者を招き最も新しい土木技術が構築されたと言われる)このインフラ工事のおかげで、農業も豊かになった。それまで、水路の大規模な土木の総合開発事業というのは、日本にはなかったらしく、農業だけじゃなくて、工業の発展に愛知用水は大きく寄与していますよね。
−知多半島の先端にあり、創業から三五〇年続く醸造会社の盛田㈱さんも、護岸工事や海岸道路工事など、民間の企業でありながら、公共事業を明治初期から手掛けられたり。常滑のINAX(伊奈家)さんも、窯業職人のスピリットを大事にされているからこそ、事業の根幹を担ったインフラとしての土管づくりを痕跡としてギャラリーに残し、今に伝え続けている。どの企業さんにお話を伺っても、「公」の視点を知多半島の多くの企業が当たり前のように持ち続けていらっしゃることが、非常に興味深いです。
小島:家族経営だからこそ、ファミリーに引き継がれていく〝想い〟というのがあるかもしれませんね。また、地場だからこそ、恥ずかしいことはできない、ということもあります。
細井平洲(ほそいへいしゅう)先生は、米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)の師匠と言われていて、江戸時代の学者で、名古屋の尾張藩の明倫堂の学長。儒学の先生です。平洲先生は知多半島を語る上では、欠かせない人です。『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』。これは、平洲先生の教えをもとに、上杉鷹山が詠んだ歌です。東海市では、小中学校の校歌にも、平洲先生の名前が出てきます。
愛知県知多郡上野町議会議長を務めた創業者である私の曾祖父の名前は、小島良一、その弟の名前は勇之進と言います。
「学、思、行、相まって良となす」「勇〈ゆう〉なるかな勇なるかな、勇にあらずして何〈なに〉をもって行なわんや」という、細井平洲先生の二つの教えがあります。
曾祖父のさらに父(高祖父)の幸左ヱ門が地元の文化的な活動をしていた学者肌だった人なのですが、この平洲先生の教えから、名前の「良」と「勇」という言葉を取っているのではないかと、私自身は捉えています。先生の教えを名前に入れようとしている意図が見えるんですよね。
弊社の会社のロゴマークは丸良なのですが(良を丸で囲った形)、良い=goodという意味でもあり、もともとは、小島良一の「良」という名前から取った、という由来があります。戦後、復員した小島朗夫・第三代社長(故人)がデザイン化し、日本を囲む美しく青い海の色をイメージカラーとしたものです。「学、思、行、相まって良となす」という教えから解釈し「現場に学び、考え、実行し、社会に貢献すること」を目的とし、企業としての核心をこのロゴマークとして表現しています。
細井平洲先生の教えに「先施 (せんし )の心」―自ら先に施すこと、相手からの働きかけを待つのではなく、自分から先に進んで相手に働きかけることによって、相手の心を動かすことについても説かれているんですよね。
細井平洲:1728年尾張国平島村(現東海市)生まれ。『嚶鳴館遺草』(おうめいかんいそう)治世経済、教育教化、人倫道徳、処世教訓等、世情一般の諸問題について、具体的にかつ平易に説いたもの。書名にある「嚶鳴館」とは平洲が江戸で開いた私塾の名称。経済(経世済民=世を治め民の苦しみを救うこと)の道理を、きわめて細かく論じたものとして、西郷隆盛、吉田松陰によって賞賛され、伊藤博文は治国の指針としたと言われている。
−これだけ愛知県で産業が発展している理由について、物事を起こし動かしていく人たちが、どうしてこの土地から輩出されているのか、教育が成されていたのか、その辺りを調べていくと色々なことが見えてくるのではないかと住友商事グローバルリサーチ㈱住田孝之社長から(住田氏へのインタビュー記事は43〜45Pに記載)アドバイスを頂きました。
まさに、この知多を調べるほどに、人から人へ脈々と知の循環がなされているのだと。本当に大切なことが見えてきますね。
小島:知多半島は文化度が高いと思いますね。細井先生と鈴溪義塾(れいけいぎじゅく)の関係性を探り本を書かれた二宮隆雄さんは、僕らの大先輩です。鈴溪義塾というところに着目をされて作品を書かれたと思うんですが、知多半島がみなさん本当に好きで、おそらくは、そこに歴史を辿ろうとして、残そうという。知多半島独自のアイデンティティを見出そうとされているのを感じますよね。
矢橋:お話を伺っていると、政治の動きとか、時代の流れに対して、日本人はどうしても意識がそういうことに引っ張られやすいけども、もっと長いスパンで、循環という流れで見ていくと、産業は百年とか、何百年単位で流れていくという、時代時代の流れとは、何かもっと別の流れがあるのを感じますね。
小島:私自身も、小島組が創業から百年経った時に、そういうことを考えさせられました。百年前・百年後、これまでとこれからという二百年のスパンを考えたときに、百年経っても変わらないものは、なんだったんだろうと。土木という仕事は、いわゆるインフラ整備なので、産業の更なる基盤ですよね。百年間、例えば「循環」であるとか、物を作って港から船を使って輸出しようとか、みんなでこういう形で生活して行こうよ、というストーリーなり構造のいわば「基礎を作る仕事」それが土木というものだと思うんです。
そういう発想を小島組の若い人たちに持ってもらいたいと思っています。社会がどうなっていくのか、移り変わりゆくものは何か、一方で、今後これは持続しそうだということを考えて、インフラという基盤を作っていく。小島組として関わること、みなさんの生活をお手伝いする仕事によって、私たちも生活をしていけるので、これからの時代は、何が長く持続するだろうかということを捉え、掴んでいくということ。それが、インフラ=土木という仕事になってくると考えています。
私の先代の社長である現会長が先を読み、考えている新事業として、例えば洋上風力発電のことなどは、二十代の人にやってもらった方がいいと私は考えています。二十代の人は引退まで、四十年間はそのノウハウを使えるわけですよね。
二宮隆雄:1946年愛知県半田市生まれ。小説家。半田高校時代からヨット競技を始め、全日本選手権15回優勝、世界選手権に10回出場したヨット選手でもあった。氏の著書『情熱の気風〜鈴溪義塾と知多偉人伝』(フィールドアーカイブ(株)発行)は、愛知県知多半島の最高学府と呼ばれ、実在した伝説の学校「鈴溪義塾」、石田退三、盛田昭夫、平岩外四、谷川徹三など、錚々たる知多の偉人たちの歴史を紡いだ物語。2003年〜2004年まで 335 回に渡り中部経済新聞に連載された。
−会長は、そのような先見の明といいますか、先を見据える視点を大事にされているんですね。
小島:そうですね。会長はそういう視点を持っています。若い人にこそ伝えたいですね。僕も一緒に暮らしながら、祖父から話を聞いてきましたけど、今、とても役に立っています。時代がどう変わろうが、その考え方や発想を若い人で繋いでいくことはできますよね。伊勢神宮の式年遷宮のように、人から人へと伝え続けていく。若い二十代の人たちが、あと六十年生きるとして、これから六十年は、どういう社会であるべきか、どういう社会に生きたいか、ということなんです。私たちが、これからのことを考えて計画をしたとしても、二十代の人たちが実際に住みたい世界とギャップがありますよね。
若い人たちが、住みたい世界があった上での社会基盤だと思うのです。私には、これからの二十代が望む価値観や社会については分からないところがあって。自分の方が年上だから、自分の方が優秀だとは思っていないんです。先日、ある二十代前半の若手社員とブロックチェーンのことについて、ディスカッションしていたんですが、取引履歴を記録していくブロックチェーンって、そもそも何だろうという話になったときに、彼は「企業の信用を可視化するということですね」と言ったんですよね。企業の信用ということを事実の記録から可視化して、見えるようにしていくことなんだと。こんな風に技術の意味を解釈できることに、僕は感動してしまって。彼に教えられましたね。私は、そういう〝芽〟をつぶさないようにしたいと、そう思っています。
矢橋:脈々と続く文化というか、うまく伝承していけるといいですよね。
小島:メインの港湾土木の事業がある一方で、全く違うこと新しいことに挑戦する心が大事だと考えています。今の事業だけをやっていたら、会社としては持続できなくなってしまうことも考えておかないといけない。だから、新規事業を二十代の若い人たちと一緒に考えていく、実行していくということが大事だと考えています。
−二十代の世代に新規事業の発案を任せようというのは、経営者として凄い決断だと思います。また、企業としての継続、という点においては、醸造の盛田㈱さんでも、同じようなお話を伺いました。商売を一本にしておくことほど危ないことはない、と。醸造事業で、会社が三百五十年続いていらっしゃいますが、水が豊富に湧き出るからとか、そういうことから醸造業が始まったわけでも、続いているわけではない、と。流通のルートがあるから、卸先のルートがあるから、市場を把握した上で、何を売るかという発想。じゃあ、お酒を作ろうか、調味料作ろうか、時代時代に合わせた〝良いもの〟を沢山作って、みんなの手に届く価格にするためにという視点で、技術開発をする。企業の継続の根底に、〝商い〟の基本や心がありますよね。
小島:幹部というのは、木の幹と同じで、ベースのところをきちんと押さえている人たちだと、私は捉えています。どんな事業についても、きちんと対応できるプラットフォームを用意するのが私たち幹部の役割ですよね。新規事業という新しいプラットフォームを引き延ばせば、また別の事業にも、また使えるかもしれない。だからこそ、土木事業と新規事業の共通点を見出すこと、新規事業との共通点を見出すために土木事業を抽象化していくことが大事だと思っているんですね。土木事業のやり方のなかに、他の事業でも使えることを見出していく。
矢橋:抽象化していくことこそ、それが、経営の妙、なんでしょうね。答えがないからこそ、面白い。私も、そう思いますね。
株式会社小島組 代表取締役社長
小島智徳
1978年4月26日生まれ。愛知県東海市出身。2001年同志社大学法学部政治学科卒業。2001年読売新聞社入社。2005年株式会社小島組入社。2015年執行役員海外統括。2016年取締役。2017年常務取締役。2018年代表取締役専務。2021年より代表取締役社長。
株式会社小島組は大正8年(1919年)に創業。川から土が流れ込む伊勢湾・名古屋港で培われたグラブ浚渫技術を活かし、浚渫や埋立て、港湾土木など多くの工事を手がけており、浚渫工事では世界最大のグラブ浚渫船「五祥」を有す。土木業者でありながら、常に新しい技術を提案し続ける「世界トップレベルの建設機械メーカー」であり、常に新しいアイデアを活用した特殊船を開発している。
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credit
Design & Photograph: Takahisa Suzuki(16 Design Institute)
Copywrite & Text: Atsuko Ogawa(Loftwork Inc.)
Text: Madoka Nomoto(518Lab)
Photograph: Yoshiyuki Mori(Nanakumo Inc.)
Director: Makoto Ishii(Loftwork Inc.)
Director: Wataru Murakami(Loftwork Inc.)
Producer: Yumi Sueishi(FabCafe Nagoya Inc.)
Producer: Kazuto Kojima(Loftwork Inc.)
Producer: Tomohiro Yabashi(Loftwork Inc.)
Production: Loftwork Inc.
Agency: OKB Research Institute
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