Interview | Vol.14 | 2023.03 update

椙山女学園大学 現代マネジメント学部教授
京都大学名誉教授
椙山泰生さん

−本プロジェクトでは、持続可能な社会を実現することを前提に、企業間連携によってサーキュラー・エコノミーへの移行プロセスを描くこと、また同時に、市民と企業が連携し合い、共生社会や循環社会を描いていくオープンイノベーションを実装するということを目指しています。
 まず初めに、そもそも、企業間連携によってイノベーションを創出する「ビジネス・エコシステム」とは、一体どのようなことなのか、示唆をいただきたいと思っております。


1.ビジネス・エコシステムとは何か?

 ビジネスでエコシステムという場合、特に今回のビジネス・エコシステムという文脈で使う場合は、基本的には何らかの意味で、ある特定の範囲内のものが全体として相互依存している状態であることを指します。特に人工物ですね。製品あるいはサービスが相互依存度の高い状態になっているということを、一つの会社だけではなく、多くのプレイヤーが関わりどのように提供するのか、ということが基本的な問題意識としてあり、議論されていることです。まず、そういう話でないと、今からする話はあまり意味がありません。
 ただし、相互依存度が高いため、完全にコントロールしきった形で相互依存を管理しないと上手くできない、でもなく、完全に断ち切れているのでパートに分かれて勝手にやっていれば問題ない、ということでもない中間領域の話を扱います。それが、まず議論の前提です。
 世の中、そういう中間領域はすごく多いと理解をしています。電気自動車を例にしましょう。車そのものを電気自動車化するためのサプライヤーとの相互関係や、実際のモノとしての車が電気自動車になっていくということだけでは当然回らなくて、どのように電気を供給するのかということや、あるいはそれを具体的にコントロールするためのソフトウェアや、交通の全体の状況をどのようにマネージするのか等、いろいろなことが全部相互依存した形で初めて電気自動車は売り物になっている。全体として、うまくいくようにするためには、何ができますか? という話を基本的にはしていきます。

 最初に問題になるのが、エコシステムの境界はどこまでに設定するのかというテーマです。難しいですけれど、どこからどこまでが、そのエコシステムに入るのかということ自体は、実はあまり簡単に定義できないですね。この話を真面目に考えたことがある人は、まず1回そこで引っかかります。このどこまで、エコシステムに入れるのか? という問いですが、それは可変的だというのが身もふたもない答えです。あるタイミングで入ってなかったものが、その後、システムに組み込まれていくということが、よく起こります。なので、可変的にシステムの境界を考えざるを得ません。でもそう考えてしまうと思考停止になるので、議論するときに起点にしているのが、ある特定のお客さんの目から見たときに、価値提供されているもの全体が、どのようなものとして提供されているか? という問いです。それを起点に、関わる人工物の範囲はどこまでで、それに関わるプレイヤーはどこまでなのか? という順番にモノを見ていきます。そのときに、今ではなく、これからこういうものを作りますという構想があり、実際には、その構想が最初にエコシステムの境界を決めています。その境界の中で、どのようにコントロールをしていくのか、どのようにアライメント構造を作っていくのかが問題になるという話をしています。
 ところが、この起点を全く定めないまま議論をすることが多いので、起点がないまま話をしても何ともならないということが、まず一つです。

 二つ目は、エコシステムの相互依存度が変化することをふまえて管理方法を考えるということです。大体の場合、最初に立ち上がるエコシステムは、非常に複雑になっていて、相互依存度が高いです。ところが、ある程度進んでいくにつれて、システム内の固定化するところが決まってくるので、そうすると離れが良くなっていきます。これをモジュラー化と言います。そうすると、段々と調整しなくても供給できるようになっていきます。
 最初の段階は、調整ができる主体間で動かないといけないことが多く、時期が経つにつれて、段々と他のプレイヤーが入ってこられるような構造が作られていき、今のプラットフォーム型のエコシステムのような、例えばGoogleが作っているような世界や、アプリを作ってるような世界で動くようになっていきます。最初は、自分たちでやるしかないという話です。
 例えば、任天堂の家庭用ゲームは最初はソフトウェアも多くが内製でしたよね。どのように遊ぶかわからないようなものを、外部の人に作ってくださいということはなく、最初にその世界そのものがどのように成立するのかということについて、このような遊び方をするものを一体のものとしてこう提供しますということを、まず自分たちでやってから、初めて外のプレイヤーが参加できるようになっていきます。
 ですので、全体の絵としては、構想を描いて、最初の立ち上げの段階、相互依存度が高い段階を立ち上げるときには、緊密な連携が必要です。緊密な連携が必要なので、一つの会社の中でやってしまうか、よくわかっていて繋がりが深いプレイヤーとの間だけでやるということは、ほとんどの産業でずっとやられてきたこと。
 例えば、パーソナルコンピュータは、すごくモジュラーで、誰でも、くっつけたらくっつく世界でできていると思われていますが、それは、Intelがシステムを整備するので動くのであり、Intelがこれからどのような世界をやっていくのかを考えるプレーヤーというのは、Intelとその周りにいるごく少数の会社になります。2000年前後にパソコンメーカーでIntelと将来構想についてちゃんと話をしていたのは、DELLだけだったはず。東芝はフラッシュメモリのプレーヤーとして一時期そこに入ってました。そういういくつかの会社とだけ話をして、徹底的に検討したものを世の中に公開し、段々といろいろな人たちが参加できるようになっていく。

 そのような感じで、起点はあるけれども境界は変化していき、一方で内部の相互依存関係も変わっていく世界がエコシステムです。そう考えたときに、誰がリードできるのか? これはすごく難しい。


2.変革を担う中核企業=キーストーン企業に、必要な要件とは何か?

 リーダーであるためには、大きく分けると、二つの要素を考えなくてはなりません。一つは知識や能力が、どの程度なのかということです。それは、システムそのものに関する知識能力だけではなく、どのプレイヤーが何をできるのかまでをよくわかっている必要があるということです。なぜ、よくわかっているのかというところが問題ですね。
 それは、残念ながら、それまでにコラボレーションしたことがあるからという、すごくつまらない答えになる。しかし、そうなんですよ。過去に付き合っていたことがあるので、わかるんですね。昔、光ファイバーの開発について調査をしたことがあります。光通信は産業的には大成功はしませんでしたが、でも、今、みんなが使っていて、NTTを中心とする日本チームの開発への貢献がとても大きい産業です。これが、なぜちゃんと動いたのか? 

 特に、途中でアメリカを逆転して実用化を先に進めていったのですが、それが、なぜできたのかというと、一つは、NTTが公社として絶大な力を持っていて、周りのプレイヤーのことを、とてもよく知っていたからです。当時、横須賀に研究所があったのですが、主要なプレーヤー会社は、毎日来ているというくらい緊密でした。自分の会社の中でも、毎日は行かないですよね。研究所の人たちは、周りのプレイヤーがどのくらいの能力があり、いつまでにどのくらいまで開発できそうかということをわかっていたため、例えば、2年後には、このくらいのシステムができるという絵が全部描ける状態にありました。
 なおかつ、光ファイバーの前にミリ波という別のテクノロジーがあり、その通信のための開発をしていたところから、光ファイバーにシフトしたのですが、シフトするタイミングで、誰がどこまでできるのかを、かなり正確に把握していたので、システムの構想を描いて、どんどん実験を進めていくことをうまく進めることができた。そこで協働経験をしたサプライヤーは、その後、システムのことがわかっている状態で、どんどん開発を進められるようになるので、最初に協働経験をしたかどうかということは遺産として残って、自分で開発を進められるようになっていきます。それは、一つの典型的な例だと、私は思っています。

 もう一つは、正統性です。この人がやるなら、みんなが納得するという状況ができていないと誰もついてきません。逆に言うと、正統性と能力さえあれば、ものすごく中核的な企業である必要はおそらくなかったと思います。
 例えば、Salesforce.comという、元々オラクルの副社長だったマーク・ベニオフさんが創業した会社がありますが、彼はクラウド化を推進する一番の主要人物でした。そのため、ベンチャー企業だったにも関わらず、Salesforce.comは、いわゆるクラウドサービスの旗振り役になっていきます。
 それは、彼の正統性と彼がよく業界をわかっていて、周りのメンバーを集めることができたことで可能になっているので、会社が新しいかどうかの問題ではないというふうに思っています。なので、ここからが大変なのですが、システムの絵を本当に描ける人で、なおかつ、そのシステムを、この人がやるならついていこうと思われる人が旗を振らないと、特に、次に何が来るかわからない世界ほど、誰もついて来なくなります。
 光ファイバー通信は、今では、当たり前になっています。しかし、1970年代前半に、光ファイバーを使った通信という選択肢は当たり前ではなく、そんなことにお金を使っている場合ではないと思っている人が多かった。NTT、昔だと電電公社ですが、電電公社が、本当にお金を使うのは75年からで、70年代の前半は、なんとなく、まずいんじゃないかと、みんな思っていたのですが、NTTが本腰を入れていなかったので、誰も本気で開発していませんでした。しかし、NTTが本腰を入れた瞬間から、それ以降は、みんなが一緒にやり始めて、一気にシステムの開発が進んでいく。そういうものだと思うんですね。
 不確実性が高く、カードが揃い、全員が揃わないと動かないような世界なのに、他の人がやらなかったらどうしようという領域には、みんな投資できませんよね。だから、私がリスクをとりますというのを、NTTが、当時は電電公社で国の企業だったので、採算をたいして気にすることもなく、巨大なリスクをとることができた。
 ちなみに今は、5Gの世界ですが、3Gのときの開発は、NTTドコモを中心に進めているのですが、世界に先行して3Gの開発がすすめられた要因の一つは、彼らがリスクを取った、つまり、開発費のかなりの部分を負担してあげて、それでスタートできたからです。
 なので、せーので、みんなが立ち上がらないといけない世界の場合は、中核の会社、もしくは、絵を描いてる中核の会社と完全に一緒ではなくてもいいので、誰かが、全体のリスクをしっかりまとめて取ってあげることをしないと、動かないということだと思います。社会が巨大であればあるほど、リスクも大きくなっていきます。そのため、電気自動車はすごく大変なんですよね。


3.東海サーキュラーは、総合システムとしての循環を絵として、まず描く必要がある。

−ありがとうございます。サーキュラー・エコノミーは、経済システムを変えていく話でもあります。そのような場合、どこから始めるのか? どの規模から始めるのか? という話があると思います。昨年度の議論でも、勿論、議題になったのですが、当然リスクの話、投資の話となってくるので、それには、大企業だと合意形成までに時間がかかる。そうであれば、小さい動きからトライしていくということで、中小企業の中でも、非常に意識の高いところと一緒に動き出すことを考えています。

 それは、残念ながら、システム全体を一気に変えましょうというストーリーには、適合的ではありません。システムを全体として、サーキュラーなものにしていくことを動かしたいのであれば、そうなることによって最も便益が大きくなる人たちがリスクを取る必要があります。それは誰でしょうか? そうなる人たちが、あまりはっきりしていないというのが、おそらく一番の、問題ではないでしょうか。つまり、新しいエコノミーが立ち上がることによって、最も便益が大きくなる主体は誰か? が明確になりきっていないということなのではないか。
 あと、サーキュラー・エコノミーそのものに関して、私がわからないのは、全体がこうなると、このように回りますという総合的なシステムの絵は本当に描けているのかということです。参加してくるかもしれないプレイヤーの能力をどこまで把握していて、立ち上げることにコミットできているかという問題はあるかと思います。
 そのため、スタートの時点では、ある程度メンバーを絞った上で、しっかりと関われるプレーヤーで、まずは一気に調整して動かすということがおそらく必要で、トヨタのウーブンシティのような取り組みが必要なのだと思います。
 小さいプレイヤーは、残念ながら、そういうやり方には向いてない。やるのだとしたら、違うやり方ですね。システムの規模自体が、大きく入れ替わるようなことを最初からは考えないことだと思います。まずは、自分たちの範囲の中で循環するものを作り、それが、徐々に大きくなっていくイメージでいかないと、置き換わるというストーリーは危険だと思っています。
 全体性として、東海地域内の企業に問題意識はあると思うのですが、産業の規模を比べたら、東海圏には、すでに圧倒的に大きな存在があり、新しいものを立ち上げても、それより小さな規模にしかならない。小さな規模にしかならないのに、次の世界はこうなるからといって、プレイヤーを集めようとしても、すでにある産業の人たちからすると、それでは全然ご飯が食べられないよねとなる。よくあるコーポレートベンチャーの失敗に近いのかもしれないのですが。

 これをすでにある産業くらい大きいもので、置き換わるものとしてやるのだとしたら、それは、はっきり言って、トヨタがやらなくては無理だと思います。でも、本当の意味で、ゼロエミッションやサーキュラーなものを作るということにコミットするということに対して、トヨタは首を立てに振らないと思います。トヨタの立場では難しいでしょう。会社としてコミットできるような状態ではないですよね。
 モノが動くのに、エネルギーを使わないということはないので、エネルギーを使わない、つまり、少なくとも元に戻す範囲の中だけで動かそうということであれば、根本的に彼らのやる事業を変えなきゃいけないですが、電気自動車ですら、あれだけ抵抗したのですから。いや、それは彼らの立場からみれば当然なんですよ、その方が東海地域の経済にとっては絶対よかったはずで、今でもそうですよね。いまでも、完全な電気自動車になるよりも、ハイブリッド車が世界的に普及してくれるほうが、東海地域のためにはなるのです。
 しかし、今、世の中はそういうものを許さない方向へ、ハイブリッドはエコカーではないという定義になってきていますから。ハイブリッドが、エコカーではないという定義のベースにあるのは、原子力があるからです。フランスやドイツも、ほぼ、原子力で行くことにしたんですよね。ドイツは、おそらく、もうすぐやめようかと言うと思います。ドイツの今の電力供給のエネルギー源を見ている限りでは、もたないと思います。ロシアから、ガスが来なくなったので、また、考え方が変わりつつあると思います。ドイツはもう少し早く音を上げると思っていたのですが。フランスでは、できますからね。結局ドイツは原子力発電をしているフランスから買うわけです。
 そうした世界の人たち向けのモビリティの方法なので、どっちがいいかとそんな簡単に言えるものではない世界のものをまだやっていて、でも、世の中ハイブリッドはエコカーではないという方向に振っています。中国は、その方がありがたいですからね。後発なので、自動車産業をひっくり返せると思っています。彼らは、電気自動車については、先を行っています。量産に関しては、向こうの方が、既にたくさん作っていますから先に行っています。
 
 というような話を考えていくときに、エコシステムの話に戻ると、本当に小さなエコシステムを作ることから考えていくのであれば、可能性はあります。大きなところに対して小さなところから動かしましょうではなく、ある特定の、こういうものを作りたいということがあれば、先ほどのエコシステムの議論は使えます。その範囲で必要なリスクを負担する仕組みを検討すればよいのです。その範囲の中で最も能力と正統性が高いプレーヤーが旗を振って、付随している人たちのリスクを取る。
 一番困るのは、自分はうまくやっているのに、周りの誰かがうまくやらないから、結局システムとして動かなくなったとき。こうならないようにすることを保証しないと、皆動けない。それで動かなかったものは、本当にいっぱいあります。
 有名なケースは、デジタル映画ですよね。デジタル映画が普及するようになったのは、10年程前ですが。本当は1990年代から技術的には普及可能な状態になっていたにもかかわらず、デジタル化が進まなかった。

−フィルム会社等の抵抗があったのでしょうか。

 フィルム会社は、抵抗しても、たかが知れているんですね。映画館なんです。映画館にはメリットがなかったんです。投資しても、お客さんが増えるわけではない。ところが、それ以外の人たちにとっては、デジタル化に大きな意味がありました。いちいちフィルムのコピーを作ることや、輸送や保管にコストがかかっていたのが、デジタルであれば、ファイルを送ったら、すぐに映像が映し出される。撮影して編集をしてという世界は、デジタルの方が便利で効率も良かったのに普及しなかったのは、映画館が得をしないからです。映画館はデジタル化によって自分たちの収入が増えるわけではないという話だったわけです。
 結果、ヴァーチャルプリントフィーというのですが、デジタル化によって不要となったフィルムの現像費用の一部を、配給会社から映画館に還元して、設備投資費用を軽減させることによって、設備を置き換える投資をする映画館が増えてきて、初めて回り始めた。ある特定のシステムの中で、何かが立ち上がるのであれば、トータルの便益のうち、最も大きく享受できるグループでお金を集め、それを得しなさそうな人たちや、リスクが大きすぎるため参入できないという人たちに対して補助することができないと、プレーヤーが、たくさん参加するシステム自体が立ち上がらないですし、初期段階はすごく大変なので。ある特定の中だけで立ち上げてから参加者を募っていく方が、うまくいくことが多いですね。
 こう考えてくると、最終的に、東海地域の産業界が・・ということを、あまり前面に出さない方がいいのかもしれない。


4.既存産業、既存システムに置き換わることを、果たして、初めから前提にすべきなのか?

−東海圏とあえて言わなくてもいいのではという話は、アドバイザリーボートメンバーとのディスカッションの中でも出ました。

 東海圏と言うこと自体はいいのですが、東海圏の今後というレベルの、そこまで大きなプロジェクトにはなり得ないと思っています。何をするにしても、今、東海圏という規模感覚が問題として引っかかっているのです。今、東海圏で、ベンチャー企業をたくさん作りましょうという団体と愛知県のサポートをしているのですが、この後、見えているシナリオとしては、そういう会社がたいして大きくならない。ユニコーンなんて、一社も出てこないことになると思います。
 そうなったときに、こんなことやってもしょうがなかったのではないか? という話になりそうな気もしますが、そんなことはないんです。そんなことはないのですが、システムとして、既存産業に対抗できるぐらい大きなものが出来上がるということを、今から夢想しない方がよいです。自動車産業がリニューアルされていくところに綺麗に入っていける会社を作る方が、よっぽど話が早いんですよね。
 しかし、それは思想として、サーキュラーであるものとは、車である以上、そこまで簡単に相容れるものにはならないと思います。電気自動車にすればいい、という話ではないですからね。日本の場合は、本当に電気自動車にするならば、原子力発電をもう1回やると、みんなで意思決定しないといけない話だと思います。
 元東京大学総長の小宮山さんは、再生可能エネルギーで需要の8割をまかなう場合の構想を以前から提案しているんです。太陽光発電などの再生可能エネルギーによる発電装置をさらに普及させて、分散供給しつつ蓄電池にためてスマートグリッドで融通し合って供給します。ただ、電気自動車の普及や、各家庭で発電して蓄電していくことが前提になったシナリオです。でも、おそらく、それだけでは再生可能エネルギー中心に需要を満たすレベルには到達しない。だから、最終的には車に依存しない、みんなそんなに車に乗らなくていいよね、産業も消えていいよねという社会に持っていかないと、本当の意味では、CO2の削減には、おそらくならない。もしくは、本当に大災害が起こるリスクを引き受けながら、原子力で発電することを選ぶのかということなんだと思います。今の技術で言えば、ですがね。

−気候変動等の地球環境学を研究なさっている三重大学大学園生物資源学研究科 立花義裕教授へもインタビューを行ったのですが、CO2をいかに増やさないような社会構造にしていくかということ、例えば、コンパクトシティーに移行していく事を前提に、移動をスマートにしていく。都市に集中させ、CO2の削減を目指すといった示唆をいただきました。

 電気自動車にしましょうということは、自動車産業は、お仕事がなくなる方向なんですよ。では、自動車産業のお仕事がなくなりますということを、どのように引き受けるか? という話になると思います。同じだけの収入が手に入らない可能性があるということを、暗黙の前提に置きつつ、そんなことを言わないで、小さい世界を広げるプロジェクトのための全体構想、そもそもの世界の全体構想を描けるプレイヤーが誰で、全体構想に向けて行政の人たちと一緒になり動かしていくということが、システムとして動かすということでは重要です。
 そういう相談に来られる方には、結局、最後に誰が一番得するのですか? といつも聞いています。本当に、そうなったら得する人は誰なのかを考えてくださいとお伝えしています。住民全体ですか? それとも特定の会社なのか? 自治体なのか? 公的機関なのか? どこでしょうか? 
 そこに便益が集まってくるとしたら、そこからマネタイズすることを念頭において、当初乗ってきてほしい人たちに補助を配るために、どういう仕組ができるか考えるべきでしょうということを話しています。

−昨年度の議論では、経済だけではなく、Society、社会というところで、循環について考えていかないととなったとき、プロジェクトの中核を担う、大垣共立銀行からは、そうであるならば、銀行は企業、市民と社会に最も接続している立場であるため、これから、もっと前に出て取り組んでいく意義があると、そのように発言をいただきました。

 銀行の話で、中小企業を束ねるということを、この話に結びつけるとしたら、問題になるのが、個別の企業さんの事業は、本当にそこまで相互依存しているのでしょうか? ということですね。一つのシステムとして相互依存しているのでなければ、今日の議論はあまり意味がありません。
 それは、個別の事業として相対でやっていればいい話で、システムとして調整する必要がないのです。全体としてそういう仕組みが必要なのはなぜかというと、私の成功は、この人とこの人とこの人の成功と相互依存しているので、みんなでせーので動き、うまくいかないといけないからというのが、やはり大きく、その状況があるかないかで、今日の議論の意味があるかどうかが変わります。お互いの成功が繋がっているかどうか。
 自動車のビジネスの場合、明らかに、それがありますし、スマートフォンの世界も同じです。スマートフォンの場合は、例えば、アプリを提供している会社同士が緊密に連携しないといけないかというとそうでもなく、すでに、だいぶ手離れしてきていて、モジュラーで動くことができます。車は、今でもそこまでではないです。メカは、物理的に場所を取り合う世界でもあるので、簡単に手離れできないですね。


5.スタートアップ型の地域内連携という可能性も、視野に入れる。

 そういう意味でいうと、エコシステムという話を別の文脈で話をしている、いわゆるスタートアップのエコシステムの話で議論をすることが多いです。地域において関連している、いろいろな会社が生まれ、それが全体としてヘルシーな状態を維持できているかという議論です。シリコンバレーのエコシステムは、どのような人たちが、どのようなことをしているから、全体としてヘルシーにまわっているのだろうか? というような話をします。それはそれで、また一つ、全然別の系統の議論です。

−2030年、2050年の未来を逆算して、気候変動など社会課題の解決というものから、スタートアップ企業がビジネスデザインをいち早くしていく。そのような動きも非常に活発になってきています。スタートアップ企業が連携し合うエコシステムの方が、世の中の共感も得やすいし、実装のスピードも早いという可能性が高いということでしょうか? 実際に、農業分野では、そのようなスタートアップ企業の動きが加速し始めているようにも、見受けられますね。国内外での実績を既に出している企業もあります。

 例えば、農業に関して、新しい技術と手法によって、かつ、無農薬で作りますという、全体構想みたいなことを描いて動かしている主体が、もしいたら、彼らは、その中に組み込まれて、うまくビジネスをやっていける存在になる可能性はあります。ただし、それを、誰が旗を振るか? ということが、やはり難しい。農業に関して言うと、スタートアップは、たくさん参入していますが、本来、国内であれば、JAが旗振り役ですが、JAは、今は、その役割を果たせてはいません。
 本来は、農業のリスクに関して、それを集約することによって、対処することを目指して作られた機関なので、そういう意味では役に立っているのですが、農業構造のリニューアルには役に立っていません。志があり、いろいろな取り組みをしておられるJAさんもあるのですが。
 ところが問題は、もう“待ったなし”じゃないですか。毎年、農業就業人口の平均年齢が上がってきていて、今年68歳になると思います。そういうところを、どうやってリニューアルしていくのかということを、まとめて回せることが必要です。例えば、そういうことをやるためには、投資が必要ですよね。

 そこで問題になってくるのが、当たり前なのですが、コストです。製造業の研究開発だと、実用化されないものがいっぱいあるわけです。死蔵された技術のかなりの割合を占めているのは、コストが高く実用化されなかったものです。元のマーケットにうまくミートするようなコストでは作れず、それにもかかわらず、それ以外の価値を十分にアピールできなかったため結果的には使われていないというものが多いです。いろいろな会社に死蔵された技術があるのですが、もう使い道もわからないまま終わっているものもかなり多くあります。
 しかし、使い道がわからないよりも、一番大きいのは、まずコストが合わないこと。コストが合うマーケットが見つからない。下がると思っていたら、そこまで下がらなかったということは、本当にたくさんあります。ベンチャー企業の技術も、バラ色の未来を描いているところがありますが、コストが本当にそこまで下がるのかについては、シビアに見る必要があります。
 例えば、家庭の燃料電池も、考えられていたようにはコストが下がっていません。元々、経済産業省が描いていた絵ではもっと下がることになっていましたが、もうあまり下がらないらしいです。機構的に下げようがないところまでいってしまった。その先は技術的ブレークスルーがないと、だめだという話ですね。本当に事業を大きくしたいのであれば、そういうところを超えていかないといけません。基本的に我々は、量産して動かせるものにならないとコストが下がらないという、大量生産の世界に生きています。日本の近年の議論における大きな問題はそこです。大量生産の重要さを忘れているケースが多い。

−サーキュラー・エコノミーを概念だけで捉えると大量生産を批判して否定していることになります。そうすると仰るように、コストは上がってしまう。

 当然、コストは上がっていくし、なおかつ大量生産化する、人の労働集約性が下がっていく方向にいくことで、各国の経済は成長しているのですが、日本は労働集約性を下げない方向に話をしてしまっています。
 例えば、サービスの世界で、「おもてなし」を強調するということも、労働集約性を上げる方向になります。そうすると当然ですが、コストがかかるか、もしくは、大して給料がもらえないようにするか、どちらかになってしまうか、あるいは、その両方になってしまっている。今そうなっていると思います。そうならば、お金がもらえないのはだめで、お金をもっと取らないといけない。付加価値を上げるというよりは、お金をもっと取るというのが、正しい言い方だと思います。
 よく、アメリカ等に比べて日本は生産性が低いと言われますが、生産性が低いというのは、仕事のスループット効率という意味で生産性が低いということではなく、やった作業に対してお金がもらえていないという話です。お金の問題です。きちんとマネタイズできていません。こんなにいい仕事をしているのであれば、10倍お金をもらってくださいという状態なのに、もらってないから生産性が低く表示されている。
 オペレーショナルな能力の高さに関して言うと、日本は今でも圧倒的に高いです。本当は、もっとお金が取れる状態にないといけないんです。ヨーロッパやアメリカが提供しているものに、適当なものが多いのは、事実だと思います。全然手間をかけてないよね、という。例えば、日本で自分の店に来て困っている人がいたら、ほったらかしにはしないですよね。彼らは平気ですからね。
 でも、それでトータルに見て、どちらの店の方が生産性が高いかといえば、同じお金を取っているのであれば、それは手間をかけていない店の方が、生産性が高いに決まっています。だから、資本集約性を上げる方向をもっと考えないといけない。もっと機械やデジタルといった技術を使って、1人の作業は少ししかしていないのに、きちんとリターンが返ってくる部分をもっと増やすようにしないと、コストが下がらないし、収入も増えません。労働生産性という言葉は、要するに、きちんと働いたら、それに対して対価をきちんといただくということです。とは言っても、それを実行するのはそんな簡単ではないですけどね。


6.労働に対しての正当な対価がなければ、持続可能性は保たれない。

−良いことをしても継続できなかったら意味がない。だからこそ、いい循環になるように、持続可能であるようにしないとならない。かつ、一人ひとりがきちんと評価され、それが対価にも繋がる仕組みが必要ですね。難しいですが。

 大量生産=大量廃棄だと思っているから、そうなるのであって、大量供給+大量回収で回していけば、いいだけです。もっと言うと、大量生産でなくてもいいので、労働に対して、ちゃんとお金を払ってもらえるようにしないと、やはり社会は回っていかないので、それをやめたいのなら、そもそも、今の市場経済のあり方からやめないといけないか、もしくは、収入が少なくても全然構わないというスタンスになるか、どちらかだと思います。ある程度の収入は必要ですよね。

 −次の世代に、いかにバトンを渡していくか? という話でもあるのだろうと思っています。そう考えたときに、今の10代の子や20代前半の子は、絶対的な収入が、マストではないかもしれない。

  でも、収入が少なくて、生きていけないなら困るはずですよね。大量生産で、安い製品やサービスが供給されているのが、前提の議論なんです。Googleのサービスは、イメージは違うかもしれませんが、構造的には規模の経済の極致みたいな形で供給されています。そのくらい安価に製品やサービスが手に入るなら、という条件付きで、絶対的収入がマストではないとか言っていませんか? この話の根本は、もし、モノやサービスに対して、今と同等の金額しか払うつもりがないのなら? というところがポイントです。そうであれば、大量生産を続けるしかないです。あるいは、規模の経済に根差した大量供給を続けるしかないのですが、そうではない方法があり、それが何かというと、圧倒的にお金を払う気があるかどうかということです。あるいは、そういうことに対してお金がある人しか払えないということになると、不平等になるのですが、その不平等のある状態とどちらを取りたいかということでもあると思います。
 大量生産の体制を取ることにした結果、今、平等な社会になっている。格差が拡大してきたという論調に昨今なってきているのですが、普通に暮らしている人が、実際にどれだけのサービスと製品から便益を得てきたのかということだけを1990年ぐらいから丁寧に計算してみたら、平均的に便益は上がっていると思います。
 すごく美味しいのに、大してお金を払わないで食べられるものが増えましたよね。すごく便利なのに、全然お金を払わないで使っているものも増えたはずです。圧倒的に便益は上がってきたのに、上がってきたということ自体は、経済の計算上どこにも反映されていないし、それから、便益としても全然カウントできてないので、格差が広がっているといった話になっていますが、そうかなと思うところが少しあります。あまりちゃんと見てないだけかなと。
 いい空間で、公害もなくなってきて、どちらかといえば、美味しいものを食べれるようになり、安く手に入るものが増えました。今、100円ショップで買えるものの中には、1990年前後だと、デパートに行かないと買えなかった物もあります。もうそういう社会になってきているのに、みんなの評価が低いなと思ってるところがあります。
 年収300万円で生きていこうとすれば、生きていける社会には、もうなった。なので、若い子で欲がない子は本当にないですよね。本当に良いものを手に入れたかったら、たくさんお金を払ってでもいいから手に入れるという社会が回っていくのだとすると、大量生産の社会と、たくさんお金を払ってでもいいから手に入れたい社会は両立するのではないかという気はします。

 サーキュラー・エコノミーは、大量生産の社会をなるべく廃棄しない社会にしていくことがものすごく重要だと思うのですが、もう一方では、そもそも、安価で廃棄しないですむものでないと、みんな買わないのではないでしょうか。大量に作る、壊して喜ぶみたいな世の中ではなくなっている。なので、そもそもそういうものを放っておいても、供給するのではないかという気はしています。
 大量生産社会において、廃棄するものやエネルギーのロス等を徹底的に減らしていく方向をきちんとできれば、だいぶ違うのではないか。その大量生産社会の中には、先ほどの話で言うと、車を所有する権利はおそらくなくなるのだろうなと思います。車は2,000万円ぐらいお金を払って買うものか、もしくは必要に応じで借りてサービスとして使うものになり、その代わりに徹底的にいろいろな対策が施され、電気代もすごく高いけど払い、そういうことでもそんなに文句を言わなくなっているのではないでしょうか。
 若い子は車にあまり乗らないですもんね。そのあたりの話も、サーキュラーという話をするのであれば本当は関係があるところだと思います。でないと、きちんとお金を払ってもらい、ある程度みんなが豊かに暮らす社会には、なかなかならないように思います。


7.「規模の経済」に匹敵する、未来の循環社会とは何か?

−気候変動というファクトとしての制約から、きちんと見ていくことが重要だと思います。1個1個、前提を見直すとか、その中から何をクリアしないと2030年・2050年から見たときに、制約から見たときに、例えば気候変動であれば何を今解決しておくと生きながらえるのか。温暖化は災害だと思ってくださいと気候変動の専門家である三重大学の立花教授のお話にもありましたが、わかりやすい形の制約の方が、共通認識としてどの世代間でも問題として認識できます。これがいけないんじゃないか、こうしなきゃいけないんじゃないかという前提も疑いつつ、もう一度、制約から見て何ができるのか? というところと、エコシステムは、仰る通り、もしかすると、ビジネス・エコシステムというところが果たして、最適解になるか? ということを考えないといけないと思いました。

 ある範囲のことで、本当に変えることに同意するのであれば、そういう話を考えないといけません。ただ、システムを入れ替えなければならないということや、システムで新しいことをしないといけないということは、あるときは、そういうプレイヤー間で一緒に動ける仕組みを作るしかないですよね。
 温暖化の話は、ものすごく大きく全世界の問題になってしまうので、ビジネスのレベルそのものでの議論には、少し距離があります。ある特定の領域に関して、何かを立ち上げたいということに絞って議論するならば、できることはあるのではないかという話です。でも、温暖化を防ぐために大量生産を見直そうというのは、話が飛びすぎていて、論理的にもつながっていないです。
 温暖化の話は、先程申し上げた、もっと社会そのものがーという話ですね。これは、いろいろな考え方があるので、何とも言えないのですが、私個人としては、少なくとも、20世紀に、ずっと人間が作ってきた大量生産というとやや違う印象を与えるかもしれないので、「規模の経済」で実現する方法があり、これを捨てると、どこに戻っていくかというと、何か使いたいなと思ったら、1個1個が、とても高いという世の中に戻っていきます。
 規模の経済で社会が成り立っているということを最低限の共通理解としてもらった上で、その上で、それを捨てたい人が多くいるのであれば、もうそうすればいいのではないか。これもあれも、おそらくとても高くなるので、使えなくなります。車は、2,000万円ぐらい払わないと使えなくなり、パソコンも使えなくなりますよ。みんなパソコンもスマートフォンも使わなくてもいいという世の中です。スマートフォンは、いま実現している機能から考えると、圧倒的に安いですよね。10年前のパソコンより優秀です。30年前だったら、メインフレームのコンピュータです。それを手元に持っている状態ですが、それをやめようという話をしている。
 「規模の経済」を実現するのを諦めるというのは、そういう話です。世の中の「規模の経済」を実現するための仕組みが、どうなっているのか? ということ自体を捨てる気がある人は、すごく少ないと思います。それは、今、皆さん忘れているのですが、今ある最低限の生活を維持するための、その豊かさのベースになっている部分なので、もちろん、カスタマイズするとかはできますが、それも「規模の経済」を実現する仕組みを一応持った上で、カスタマイズしているから普通に使えているだけなので。
 車をイチから全部スクラッチで作ったら、すごい値段になります。概算ですが、今、車の試作品は、試作の工場があるので作れますが、大体単価1億円ぐらいです。衝突実験で10台潰すと10億円飛んでいることになるのですが、1個1個手作りみたいな作り方なので、そのくらいの価格になると思ったほうがいいと思います。

 デジタルな世界だって、固定費に相当する部分が規模の経済の影響が出る。さらに、需要側で規模を取ると有利になるというメカニズムも働きやすいので、規模の経済の重要性は、全然低下していません。規模の経済を脱却するわけではなく、むしろ規模が重要になってきているところもあります。日本のデジタル系のベンチャーが、良くスケーラビリティを問題にしていますよね。あれです。デジタル化した社会では、固定費があまりかからないビジネスが可能になりますが、固定費はかからないのではなく他人が開発した資産をライブラリーとして利用しているのです。なので、デジタル化した社会は、社会全体として、規模のメリットを追求できるグループが力を持つ社会だと思います。

 こう考えてくると、環境のことを考えるのであれば、規模の経済から目を背けるのではなく、むしろ規模の経済を前提として、供給プロセス全体について、どのように再生可能にしたり、循環可能にしたりしていくか? ということを、当たり前ですが考えるべきだろうなと思います。
 それは、これまでずっと産業界も努力してきていることなのですが、おそらく足りていないです。もっと、大きな一歩が必要で、それは何かというと、例えば今日の話題につなげると、自動車のスペックダウンや利用制限を実現するのかという話になるのかと思います。


8.環境的な負荷という制約から、どのようにルール化をしていくことが望ましいか?

−今、ユーザーが必要としているものは何なのか? 「今」というところに対して、企業はある種、これまでは寄りすぎていたので、未来からの制約に対し、製品やサービスを改めて検討していくことは、現実的に悪いことではないのではないでしょうか。

 どうやって、スペックダウンしたものを欲しいと思えるようになるか? という問題はあると思います。今言われている方向は、例えば電気自動車にしましょうという話ですが、それでは不十分かもしれません。おそらく、全然合意できない話だと思うのですが、自家用車の制限みたいな話になる方が、少なくとも温暖化対策としては本当はいいはずです。でも、自動車産業に関係している人たちは、おそらく、ほぼ反対でしょう。
 そういう、色々なものの負荷が低いものになっていくように、世界共通のルールを作っていかなければなりませんが、日本はルール作りは、国際的にも強くない。
 日本は国が1つしかないのでヨーロッパに敵わないですよ。ヨーロッパがやることは、結構ひどいんですよ。ヨーロッパがルールを作ろうと思ったら、そっちの方に行くというのは標準化の世界では皆さんご存じのことです。一般的によく知られている例はスキージャンプですが、スキージャンプは何回もヨーロッパが、ルールを改正して日本が勝てないようにしている。柔道は、日本が発祥で、そこまで滅茶苦茶できないようになっているのですが、スキーは、自分たちが本場だと思っているので、スキー板の長さのルールを変えて、日本が勝てないようにするとかは、ずっとやってきたことです。

 まあ、そういうものだと思って。ルール作りに、どう参加していくのか? が関わってきます。もっと大きな、ある特定の産業を世界でどう変えるかといった話をするときに、ルールをどう決めるか? ということは、すごく重要ですが、ルールの決め方自体が、もう日本が勝てないようになっています。勝つためにいろいろなことをやってくるのですが、そこは日本はどうしても弱いんですね。技術がわかるロイヤーみたいな人が向こうからはいっぱい出てくるんです。そういう人たちが立論してくる。こちらのエンジニアの方とかが行っても、対抗するのは大変みたいです。私が調べたケースでも、欧米企業が本当に微妙なところを突いてきて、その結果、日本企業の素材が使われなくなったこともありました。それは、後日談としてそうだったね、という話にはなるのですが。その場で対抗することは難しいところですね。
 ベンチャー企業でも、標準化が問題になることが結構ありますが、動員できる人が限られるベンチャー企業にとっては、これはさらに厳しいです。導電性の繊維でウェアラブルのように使える製品を開発している会社があります。その分野の国際的な規格を作るということがあり、危うく彼らの技術が使えない規格が国際規格になるところだったそうです。知らない間に決められそうになっていて。経済産業省も、そこまで細かくサポートできるわけではないですね。話は外れましたが、そういうところまでいかないと、環境の話にはならないということがあります。


9.循環・再生というサークルさせるオペレーションを、どのように効率化するか?

 今日の話をまとめると、まずビジネス・エコシステムのマネジメントは、システムが複雑になりすぎると相当難しくなるということです。そして、ショーケースとして、範囲を限定したサーキュラーなエコシステムを立ち上げていくこと自体は意味はあると思うのですが、それを広げていくことを考えるのであれば、ぜひ考えていただきたいのは、その世界で「規模の経済」が実現できるのでしょうか? という話です。
 そうでないと、一般人の手元に物が届かないです。お金のある人のところにしか届かないという話になってしまう。もしくは、ちゃんとした対価を払わないで、ただ働きみたいな人が実はいるという世界を作ってしまう。
 そうではない世界を実現するためには、今あるオペレーションをどのように効率化するか? そういうことに関する様々な知識を使っていくしかないのです。幸い東海圏には、圧倒的な蓄積があります。「モノ作り」と言わない方がいいと私は思っています。オペレーションを効率化するために使える技能が溜まっている地域だと思ってもらったほうがよいです。それをどうやって活用するのかを、別の商品だとか、あるいは製品のあり方を含めて考えていただくということのほうが重要ですよね。
 既存の製品に縛られることなく、そもそも、循環・再生というサークルさせるオペレーションを、どのように効率化するか? 実装するか? について、議論を進めていく。東海は、そのような知識、経験がある人が多くいる地域なので。

 

学校法人椙山女学園理事長、椙山女学園大学現代マネジメント学部教授、京都大学名誉教授
椙山 泰生
1967年、愛知県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。ソニー株式会社勤務後、京都大学経営管理大学院准教授、教授などを経て現職。越境するイノベーションについて主に研究。著書に『グローバル戦略の進化』有斐閣、『越境協働の経営学』白桃書房(近刊)など。『組織科学』『国際ビジネス研究』『ベンチャーレビュー』などに論文多数。

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