Interview | Vol.2 | 2022.06.08 update
盛田株式会社 取締役
生産本部本部長 兼 品質管理部部長
菱川進弘さん
「お酒だけじゃなかった、というのも大きいですね。 味噌、たまりとか多角的にものを作って。
色々なことに、挑戦してやっていく。 チャレンジして、失敗もあるけど、残っていくんですね。」
−創業三五〇年を超える盛田㈱さんは、愛知県を代表する醸造メーカーですが、酒造の大革新を起こした、十一代目当主・盛田命祺さんにまつわるエピソードなど、今日はお話を伺わせていただきたいと思います。
菱川:知多半島には綺麗な水、良い水が豊富にあって、だから、醸造が盛んになったかというと、そうではなかった。だからこそ、水を探して、良い水が出るところから持ってくるという発想があったんですね。
ここに、大谷工場があって、この山の辺りに井戸があって。(水路の図面を見ながら菱川さんが丁寧に説明してくださった)飢饉になっても、枯れなかった井戸で。池があって、ここからずっと引っ張ってきて。ここに酒蔵があって、水を引いてる、と。お酒のための大事な水。綺麗に図面の写しをしてあるね。おそらく、この水路の図面は、昭和の初めぐらいに書かれたものですね。盛田で、お酒に使っているのは、湧水なんです。
今は、この水を酒造り用には使っていません。木曽御嶽山の山麓、開田高原の湧き水を知多半島の酒蔵まで運んで来ています。昔よりも、綺麗なお酒になりましたね。男酒、女酒という意味では、女酒になった。たとえば、酒造りが盛んな灘(兵庫県の酒どころ)の宮水は、硬い水。辛いお酒になるんですよね、荒いお酒。ミネラル成分がある方が、発酵が湧き立つような味わいになる。盛田の酒は、ゆっくりしたような、やわらかい味わいが特徴です。
こちらの図面は、昭和二年、百年前、敷地内の水路図面です。今いるのは、この辺の場所。ここが盛田家の本家で、ここに醤油工場がある。ここが白山神社ですね。水源、溜池、大事にしとったんでしょうね、水を。
−水路の図面は、醸造会社にとっては、血脈のようなものでもあり、まさに知財そのものですね。
菱川:これらの水路の図面で、どこに井戸があるのか、だいたいわかるので、大事に取ってあるということですね。盛田の製品には、お酒があって、味噌、たまり、醤油があって。全国的にも非常に珍しいんだけど、酒蔵のすぐ横に醤油蔵がある。醤油麹とか他の麹菌を酒屋さんは、本来は嫌うんです。同じ盛田家でやってるから、醤油蔵と酒蔵が、敷地として分かれてはいるが、ほぼ隣同士でくっついている。同じ家で両方造るというのは、あまりないんじゃないですかね。
商売として、お酒が盛んだったときもあれば、明治初期には、衰退した時期もありました。江戸時代は、酒造りを尾張藩が推奨してバックアップしてくれたというのが背景としてあったかもしれませんが、明治初期は、どちらかというと、味噌とか、たまり醤油の方が勢いが良かった。ずっと同じことを守っていくというよりも、目的は作って商売に活かすという方だったかもしれないですね。
−お話を伺っていると、ベースの考えとして、まず「商売」がありますよね。
菱川:作ったものを、売る。まず売り先があるから。根っからの商売人ですね、盛田家は。知多から江戸を繋ぐ航路、交易ルートがあったのが、背景として大きい。命祺さん(盛田十一代目当主盛田命祺)の時代に、少ないお米から、たくさんの量の酒ができるように工夫されたんですよね。精米具合と汲み水の量とかけ米の兼ね合いで出来上がるお酒の量が極端に増えた。同量の米を使って、七、八割増の酒が出来るようになった、と。捨てないし、限られた原料から、できるだけ量を取ろうと考える。
味噌だけ、たまり醤油だけを作る発想だったら、とても高いものになり、限られた人しか使えないものになる。けれども、味噌もたまり醤油も同時につくる。色々な人に、出来るだけ多く安く届けられるように、製法そのものから考える。名古屋=尾張の発想というのは、こういう発想なんですよね。
米は庄屋さんに集まってくるから、それを使って、酒にする。販売先を広げていくと商売として、周りの地域だけからでは足りないので、いろいろなところから集めなくてはならない。限られた量の原料から、いいお酒をたくさん作らないとならない。それによって「技術」そのものが発展していったんですね。火入れの温度だとか、桶の洗浄の方法とか、洗浄殺菌して、殺菌によって腐敗を防ぐだとか、今も機械的には洗浄殺菌はやっているんだけど。当時から、今と近い発想ですよね。品質が良くなっていって、工程の改善だとか、できるだけ買いやすい価格になるように、同じ量で生産量を上げることを考える。
−だからこそ、盛田㈱が三五〇年続いたということでしょうか。こだわって作っていたら、極上の美味しさにはなる。一方で、コストもどんどん高くなってしまう。誰もが買える値段設定にして、同時に品質は上げていくという。商売の鉄則がすでに江戸期に出来上がっていたというのは大きいですよね。
菱川:お酒だけじゃなかった、というのも大きいですね。味噌、たまりとか多角的にものを作って。色々なことに、挑戦してやっていく。
例えば、〝赤だし〟は、もともとは、関西の京都の料亭で、自分のところで出汁と白味噌と八丁味噌とを合わせながら出汁と合わせて作っていたところを、前もって出汁だけは作ってもらい、八丁味噌に白味噌と調味料を合わせ味噌に出汁を加えて赤だしにしてもらう。その合わせて作ったものが、我々の〝赤だし〟の最初なんです。戦後六十年以上前の話ですが。味噌に調味料などを合わせていくと塩分濃度が下がっていき、加工度が高くなる。そうなると、腐敗の心配も出てくるんだけど、殺菌の技術を発展させて。昭和の初めぐらいには、すでに工場内に研究所があって、いろんな研究をしていた。盛田㈱が日本で最初につゆの素(麺つゆ)を作った。
そういうものに、取り組んでいく。チャレンジして、失敗もあるけど、残っていくんですね。今、一番出荷量が多いのは、料理用のお酒や味醂。時代時代に合わせて、いろいろな調味料や製品を作っていったんです。料理用の調味料は、使いやすい、買いやすい価格にしていった。昭和三十、四十年代は、料理を作る際の調味料としての味醂とか、日本酒とか、そういうものはなかったのですが、徐々に、一般家庭で使いやすい価格にしていった。今では、そういうことは、一般的ですもんね。
−なるほど。まさに、発酵イノベーターとしての盛田㈱さんのスピリットを感じるお話ですね。最初に家庭用調味料を自社で作ろう、というきっかけは何だったんですか。
菱川:一般的な家庭そのものが、核家族化になって、それぞれ忙しくなって。出汁をとって、蕎麦だとか、素麺だとかを、家庭でイチから作るのは大変だと、すぐ食べれるようなものを作ろうと。その方が便利だろうという発想ですね。団地族の〝だんち〟というのが、当時の商品名だったんですけど。
料理の時に使う出汁、料理用のお酒とか味醂とか。酒造免許がないとお酒が売れなかったが、塩をある程度入れて、飲むためのお酒でないとなると、酒税がかからない。だから、一般家庭でも料理にお酒や味醂を使うことが広まったのは、一般のスーパーで並べられるようになったこと、安く提供できるようになったことが大きいですね。
−愛知県では、味噌を食べる機会が圧倒的に多いですよね。私自身はこんなに味噌を食べ続けるということは普段あまりなかったのですが、名古屋に頻繁に来るようになって、すっかり影響を受けてしまいました(笑)。今では、冷蔵庫に味噌がないと落ち着かないというか、手放せません。
菱川:例えば、愛知の豆味噌は発酵に一〜二年ぐらいの期間がかかる。もともと発酵醸造は、お金になるには時間がかかるけど、財産になるという考え方ですね。味噌は地域それぞれに手前味噌がある。上場規模の企業で味噌をあちこちに売るというのは、とても珍しいです。昔はとても珍しかったと思いますよ。
尾張文化はケチなんですよ、合理的というか。八丁タイプの味噌はたまりが出ないじゃないですか。味噌を作る際に、水分を多めに加えると、たまりが出来る。特別な調味料としてたまりがとれる。味噌は味噌で、とれる。
味噌は「食べ物」なんです。味噌田楽は「食べる」と表現する。調味料ではない。醤油とかたまりは、素材を美味しく食べるための「調味料」。元々の発想が、違うんですよ。
地域によっても違いますよね。味噌は特に「地域性」が出る。関西は、白味噌。甘いお味噌ですよね。大豆の分量があまり多くなくて。愛知の味噌は、真っ黒ですよ。本当は、黒ではなくて、赤身が強いのだけど。見た目よりも、味を良くする。
信州味噌は見た目の黄金色が良しとされる。黄金色と香りと。豆味噌の世界は、見た目重視ではないので、品評会での評価点はマイナスになってしまいますね。濃い茶褐色になってしまうから。信州味噌はアルコール発酵で香りも出るんだけど、愛知の豆味噌は分解させて〝旨み〟で食べさせるので、アルコール発酵するわけではない。味噌蔵の香りが良いと思ってもらえると、いいけど。独特の香りなのでね。同じ米味噌でも、仙台では色が濃い。米を使っていて、熟成期間が長いので…地域の料理との相性なんでしょうね。
名古屋人は、見栄っ張りなんでね。お客さんには、見た目の良い白醤油をおもてなしには使う。卵焼きだとか。ケチで、見栄っ張り。茶碗蒸しとか、だし巻き卵とかね、それには、白醤油を使うんですよ。もともと、白醤油は、そういう料理に使うんです。白醤油は、小麦の醤油なんです。だから、甘いんです。小麦を使って作るというのは、画期的な発明で、醤油の香りが全く違う。小麦が半分入ってるから、あの香りになっている。アルコール成分で、保存性も良くなって、あれは、発明ですね。もともと醤油の醤(ジャン)を発明した中国にも、なかったものです。
−まさに、発酵は風土と人そのものを表す〝文化〟でもあるんですね。本日はありがとうございました。
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Design & Photograph: Takahisa Suzuki(16 Design Institute)
Copywrite & Text: Atsuko Ogawa(Loftwork Inc.)
Text: Madoka Nomoto(518Lab)
Photograph: Yoshiyuki Mori(Nanakumo Inc.)
Director: Makoto Ishii(Loftwork Inc.)
Director: Wataru Murakami(Loftwork Inc.)
Producer: Yumi Sueishi(FabCafe Nagoya Inc.)
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Producer: Tomohiro Yabashi(Loftwork Inc.)
Production: Loftwork Inc.
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